不動産トピックス
日本橋特集 街を彩る名店探訪 玉ひで
2020.02.03 16:03
人形町 鳥料理「玉ひで」 創業260年を迎える万事徹底の老舗
「玉ひで」に伝わる家伝の法は、「放血せずに〆た鳥を、血を見せることなく直ちに骨と身に取り分け、肉に手をふれずに薄く切る練達の秘法」。将軍家の御前にて鶴を切る巌議に由来する、格式の高い包丁さばきだという。鳥料理へのこだわりはそこに端を発し、宝暦10年(1760年)の創業から260年目を迎える現在まで、しっかりと受け継がれてきた。
創業からしばらくは、将軍や大名などの屋敷に出向いて軍鶏(しゃも)鍋を提供する出張料理が主だったが、嘉永5年(1852年)に記された「江戸五高昇薫」という当時の名物店番付には、住吉町「玉てつ(当時の店名)」として登場。江戸の鳥料理5店の中に選ばれ、この頃から軍鶏鍋専門店としての営業に専念するようになった。明治の時代に入って5代目・秀吉の時代、その妻とくは、鳥鍋の残りの割下で卵をとじる客の食べ方にヒントを得て、わが国初の「親子丼」を考案。始めは出前のみの販売だったが、日本橋界隈で人気を博し、全国に広がっていった。今では、昼時に親子丼を求めて長蛇の列ができるが、こうした歴史をひも解きながら味わうのも一つの楽しみ方だろう。
そして、歴史とともに知ってほしいのが「玉ひで」の食材へのこだわりだ。軍鶏肉はもちろん、葱や白滝、豆腐は、同店のために作られた特注品。特に軍鶏は8代目にあたる現在の店主・山田耕之亮氏が開発に力を入れたもので、東京軍鶏・川俣軍鶏・山王(やまおう)軍鶏が契約農家で育てられている。それらを使い、秘伝の醤油と味醂による割り下で鳥鍋が提供される。
「玉ひでの原点は、やはり鍋。玉ひででしか出せない味と素材にこだわり、妥協はありません。一方、こんな鳥の料理は食べたことがない、と皆さんが驚かれる新メニューも企画しています」と山田氏。再開発が進む日本橋についても「古くからあるお店を立ち退きではなくその場所に残す工夫や、ビルとビルの間が商店街になっている街づくりなどを提案しました。その考え方が実際に実現されています。伝統をしっかり守りながらも、それを後世に伝え発展させることが大切ですね」と語る。代々続く重責を負いながらも、未来を創る気概を感じさせる同氏の言葉の先に、「玉ひで」のさらなる発展が見える。